雨季にも通行可能な道路に
(ミャンマー・サイクロン被災地で簡易路面処理技術を)
2008年のサイクロン・ナルギスにより、エーヤワディ地域は壊滅的な被害を受けました。死者・行方不明は13万8千人に達したほか、被災した人は240万人にものぼるとみられています。右上の写真は、視察した現場で、冠水した水位を住民に示してもらった様子です。 |
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エーヤワディ地域ではもともと道路整備が遅れているため、農作物の搬送もままならず、貧困地帯のまま取り残されていましたが、その僅かな道路も未舗装で且つ災害に弱い盛土構造のため、今回のサイクロンにより地域の道路は壊滅的な打撃を受けました。 このため、地域の人々の暮らしはますます困窮しています。 |
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道路の路面処理が適切でないため道路は傷んだまま。これではトラックもバスも自転車程度のスピードしか出ず、実用には耐えません。政府も道路の応急修理をしていますが、技術基準が整備されていないため、一雨降るとまたすぐに壊れてしまう状況です。 |
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河川のデルタ地帯という悪い地質条件の下で道路を建設するには、日本の技術支援が不可欠です。 | |
かつて、日本はJICAを通じ、橋梁建設が非常に遅れ経済発展が阻害されていたミャンマーに対し、1979年より85年まで「橋梁技術訓練センタープロジェクト」を実施し、大勢の優秀なミャンマー人技術者を養成しました。しかし、実はプロジェクトの開始前の1978年に、建設省土木研究所構造橋梁部長(当時)の国広哲男氏を団長とする調査団がミャンマーを訪れた際、現地視察のため搭乗したビルマ航空機が墜落事故を起こし、国広氏ら団員6名とミャンマー側カウンターパート2人が殉職するという事故が発生しました。このため、このプロジェクトの卒業生でのちに公共事業庁総裁になったハンゾー氏(2010年に日本の土木学会国際貢献賞を受賞)は、今でも日本の遺族や当時の関係者であったJIP会員と交流を続けています。(左の写真はヤンゴン近郊の日本人墓地内に建立された橋梁センタープロジェクト関係者の殉職者慰霊碑。右は33回忌にあたる2010年に、碑に献花したJIP会員とハンゾー氏。) | |
左の写真は、JIPとミャンマー公共事業庁との意見交換の様子。ミャンマー側からは、これからの国づくりに欠かせない良質なインフラの建設のため、日本からの技術支援を強く要望されました。しかし現在の日緬関係から、NPOであるJIPが技術支援を実施できるよう努力しています。 |